簡単な例は辞書です。
辞書で言葉を引くと、その言葉の意味が、違う言葉でクドクドと説明してありますよね。
「熟語一つの説明に長文が一つ付いてる」なんてこともざらにあります。
その言葉の意味を知っていれば熟語一つで済むかもしれませんが、
その言葉を知らない人に同じことを伝えたい時は、細かくかみ砕いたり、
辞書の説明のように、違う言葉で言い換える必要があります。
そして、短くてコスパの良い言葉には、知識的なハードルがあることのほかに
もう一つ欠点があります。
それは、いろいろな意味を包括している反面、ニュアンスの違いに左右されがちなことです。
難しい言葉だらけの文章を読んでいると、「なんだかふわふわした文章だな」
というイメージを抱きますよね。
このような「意味の揺らぎ」を抑えるために、文脈を文章で補完していく場合にも、
自然と長文になってしまいます。
…とか何とか言いながら、
「長文は分かりやすい文章であることが多いので、面倒くさくも怖くもないよ」
ということを説明するためだけに、結局、こんなに文字数を使っちゃいましたね。
「バカにこそ読んでほしい長文をバカまで届けるためには、
まず長文の良さを長文で説明しなければならない」
という矛盾に、言語というコミュニケーション・ツールの限界を感じます。
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